爽秋



腕の中で眠る人を覗きこんだ。
あの頃も幾度かこうして眠っていた事を思い出す。

「今月は殊に重いようですね・・・」

眉間に皺を寄せて眠る人を起こさぬように囁いた声は
エアコンのモーター音に吹き散らされた。


今でない前の生。
刃で未来を切り開こうとしていた修羅の時を共に過ごしたこの人と
今生でも一緒にいられる事は奇跡というべきなのだろう。

女子の身ながら武士であろうとしたこの人は、月に三日だけ本来の性に戻る時を得ていた。
秘すべき事柄ゆえに。




夏も終りのある日の事だった。

お馬の休暇で里乃の家へと向かうセイを送って行ったところ、
三味線の師匠が寝込んでいるとかで里乃は不在だった。
その日は自分も非番に当たっていた事もあり、普段よりも具合の悪そうなセイを
一人きりにするよりはと遠慮する娘の言葉を聞き流して屯所に外泊の知らせを入れ、
そのまま共に過ごしたのだ。

夜半。

小さな呻き声に眼を覚ますとセイが小さく身を丸めていた。

「神谷さん?」

呼びかけた声にも応えは返らず、時折耐え切れぬような呻き声だけが闇に響く。
並べて延べた布団から顔を覗き込めばセイは眠りの中にいた。

「・・・・・・眠っていてまで苦しいんですか?」

そうっと触れた頬が冷たい。
秋風の吹き始めたこの時期は夜になると冷えてくるせいか、小さな手の平が
布団の襟元を寒そうにきゅうと握りこんでいる。
貧血のせいで体温が下がった身は、実際以上に寒さを感じるのだろうか。

自然に自分の腕の中へと小さな身体を抱え込んだ。

「ん・・・?」

続く苦痛から眠りが浅かったらしいセイが、熱い身体に包まれて目を覚ました。

「・・・え? 沖田・・・先生?」

一瞬現状が理解できなかったようで、黒々と煌く瞳が闇の中で幾度か瞬いた。
けれどすぐに状況を見て取り、大きく抱え込む男を引き離そうと暴れ出した。

「な、なにっ! 何をなさってるんです!」

「こらっ! 暴れるんじゃありません」

必死に男の肩を押しやろうとする手を互いの身体の中へと挟み込み、抱く腕の力を強める。
それでもどうにか身体を捩っていたセイが、ようやく諦めたのか少し身体の力を抜いた。

「離してください」

「嫌です」

「どうして・・・」

セイと違い夜着など準備していない総司は、袴と長着を脱いで薄い下衣だけの姿だ。
がっちりと抱き込まれているセイには薄い衣越しに身体の熱が伝わってきて、
心臓に悪い事この上ない。

「貧血で身体が冷えているでしょう? 私は熱いぐらいだから、こうしていると
 お互いにちょうど良いじゃないですか」

「でもっ!」

深く意識する必要は無いのだという総司の言葉にセイは頷けない。
けれど言葉にするのに躊躇った。

「神谷さん?」

「・・・から・・・嫌なんです・・・」

「え?」

微かな言葉を聞き取れなかった総司が、腕の力を抜いて顔を覗き込もうとした。
それを拒むようにセイは深く俯く。

「私・・・匂いが・・・」

穢れとされるそれは、人の意識に感知されやすい。
女子である自分を最も意識させられる厭わしい事実を、こんなに近い距離にいたなら
総司にも強く感じられてしまうだろう。
それが悔しくも苛立たしくてセイが唇を噛み締めた。

「なんだ、そんな事」

けれど総司はけろりと笑った。

「血の匂いなんて私の方にこそ染みこんでますよ。貴女も知ってる事でしょう?」

「そんなっ!」

強い口調で何か言いかけたセイの言葉を笑顔で封じる。

「お互い様です。気にしない気にしない。そんな余計な事に気を回していないで、
 貴女は早く眠ってしまいなさい」

「でも・・・」

素直に言う事を聞こうとしないその様子に、背中を抱いていた腕が腰まで下ろして、
ぐいと細い身体をより強く引き寄せた。

「明日になれば里乃さんが戻ってきます。今夜だけですよ。さあ、眼を閉じて。」

滅多に意地を張る事の無い男が、時に駄々っ子のように考えを譲らなくなる事は
短いとはいえない付き合いの中でセイも学んでいた。
今の総司が絶対に引き下がらないだろうと感じて、渋々と瞼を閉じた。
腰の後ろに添えられた手の平からじわりと熱が伝わり、その温もりと安心感から
トロトロとした眠りの波が押し寄せてくる。
それに抗う術も無く、セイはそのまま眠りへと落ちていった。



その日以降、セイが月に一度の休息所通いから戻ってくると二.三日の間、
小柄な弟分を抱え込んで眠る一番隊組長の姿が隊内でひそりと噂になった。





「ん・・・」

小さく漏れた苦しげな吐息に、知らず入っていた腕の力を緩めた。
エアコンのモーターは相変わらず微かな音を響かせている。

男女の恋情など理解できず、まして己の想いからも眼を逸らしていたというのに
あの頃の自分は女子にとって最も繊細な部分には無遠慮に踏み込んでいたのだ。
当時の自分を思い返せば苦々しい思いばかりが胸を占める。


「私が気遣うと毎月の事だし女子なら普通の事だ、といつも貴女は言っていましたけど、
 貴女が最も弱くなり苦しい思いをしている時、傍にいるのが私では無く里乃さんだと
 いう事が、実はどうにも悔しかったんですよね」

口の中だけで呟かれる言葉は眠るセイの耳までは届かない。

「武士としての貴女は私の傍らにいたのに、女子としての貴女は遠い気がした。
 自分が故意に意識から締め出そうとしたのに勝手なものですよね」


今なら理解できる。
武士としてのセイが己から離れる事など欠片ほども考えなかったが、女子としての
この人に対してはいつも不安で仕方が無かったのだ。
不安を感じるという事は、執着していたからこそだと。
それを認める事が怖くて、けれど失う事はもっと恐ろしくて、幼子が玩具を抱き締めて
放さ無いように必死に腕の中に抱え込んでいた。

そのくせ“早く隊を離れ、良い人の元に嫁して幸せになって欲しい”などと
繰り返し口にしていたのだ。
離したくないと魂の全てが叫んでいたというのに。
共に在る幸いを感じながら、いつもどこかに切なさが漂っていた。
全て己の心と正面から向き合おうとしなかった自分のせいだったと今ならわかる。
女子としてのセイも、武士としてのセイも、どちらもあるがままに受け入れて
並び歩けば良かったものを。
自分の迷いがどれほどこの人を苦しめた事だろうか。

愚かだった己を嘲笑う。


「病める時も健やかなる時も・・・なんて言葉をあの頃は知らなかったけれど」

命の尽きるまで共に過ごした先の時代。
この生でも同様にいられるだろうかと、時に不安を感じる事もあるけれど。

「もう手放す事などできませんから、覚悟してくださいね」

「ん・・・総司さん、うるさい・・・」

寝ぼけて不機嫌そうな声が腕の中から聞こえ慌てて覗き込むと、
自分の胸に頬を擦りつけた少女から先程よりも数段安らかな寝息が漏れてきた。
この様子なら明日にはだいぶ楽になっている事だろうと、悪戯に思考を弄んでいた総司も
静かに瞼を閉じた。
目覚めた時、最初に目にするだろう愛しい人の輝く笑顔を瞼裏に描いて。


静かな夏の夜に虫の音が混じり、切なさを含まない秋が間もなくやってくる。